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2002.1.26(受傷1日目)
静岡を夜立ちで出発,午前4時新潟に着き仮眠を取ったあとゲレンデへ。始めの1本目 ボーダーも多くちょっと怖いなって思いながら滑っていた。今思い出そうとしてもその時どうなったのかはっきりとは覚えていない。怖くて思い出したくないので記憶が抹殺されているのかもしれないが恐らく急激なストップによる膝への過重とひねりで頭の方から前へひっくり返って転倒したと思う。いつもならすぐにはずれる筈のスキー板が何故か外れなくプツッと自分の体の中で音を聞いたように思った。(今考えると靭帯が切れた音らしい)立とうとしたら足がグラっとして立つこともできずパトロールのスノーモービルに乗せられてスキー場の診療所に行き診察、靭帯が伸びてしまったと言われ湿布。土曜日でもあり緊急医の妙高病院の整形外科を紹介してもらいレントゲンを取る。骨には異常が無いからと同じ診断で痛み止め、腫れ止めの薬が出て靜岡へ帰ったら必ず医者へ行くように言われる。
2002.1.27(受傷2日目)
雨で滑りに行かない人も多く一日中アイシングをして宿で過ごす。
2002.1.28(受傷3日目)
静岡に帰って整形外科へ行く。触診で内出血しているからと血液を抜き恐らく前十字靭帯が切れていると言われすぐにMRI、レントゲンを撮り不幸は的中していた。過去に60才の男性に手術をして成功した例はあるとは話してくれたが手術は3分の1であとの3分の2がリハビリということで、手術よりもそのあとの方が大変な事、6ヶ月〜1年にわたる長期間のリハビリに通う問題とか、そのリハビリを継続するモチベーションを維持できるかどうかの問題から年齢的にも危ぶまれたのか進められない旨丁寧に説明してくれた。スキーがもう出来ないと思うと自然に涙ぐんできてしまった私に医師は「もう赤いちゃんちゃんこでしょ!」と笑いながら肩をたたき、次回腫れのひいた頃又来てと診察終了。ひどく落ち込んで何も手につかず膝は相変わらずはれていて何かの拍子に後を見た瞬間とても不安定なぐらつきを感じ怖い。何も知らなかったACL断裂についてインターネットで検索して初めてこれは大変な事、取り返しのつかないことになってしまったのだ・・・・・・と不安と絶望感に打ちのめされ泣いてばかりいた。医師は手術を勧めないと言っているしネットで読む限りとても大変な手術に思えて恐れをなし一生ACL損傷と付き合って行かなくてはならないのかと暗澹たる思いで手術は考えもしなかった。
2002.2.2(受傷8日目)
2度目の診察深い絶望感から泣き疲れたあと何としても元に戻りたいと思うようになっていた。
夫と共に説明を受けまだまだ登りたい山がたくさん残っている事、スキーも続けたいから何とかして欲しいと医師に頼んだ。医師も前向きでリハビリの結果や私のやる気をみてから方針を考えると言ってくれる。まだ腫れもひかず痛さも残っているが筋肉が落ちてきてしまうからとこの日から一日おきのリハビリが始まる。専任のPTは、今シーズンはダメだけど来年はゲレンデに立つようにしようねって力強く言ってくれたし、ACLの手術のあとの方調子が良くてバリバリやっているサッカー選手の話もしてくれた。心も少し平静に戻り頑張ってリハビリしようとやる気も少し出てきた。
2002.2.14(受傷20日目)
ひざ崩れ。ベッドから降りる時足を捻ってしまってその場にうずくまってしまうほどの痛さ。医師に膝くずれの話しをしたところ、私の場合人よりも関節に緩みがあってこういう人が靭帯を痛めた場合日常的に膝くずれが起こりやすいし今後痛みが取れてもこれからどんなに気をつけていても膝くずれが日常的に起こると他の組織や半月板を痛めてしまう恐れもあると言うことで医師から『内視鏡の検査』をしてみようと言われた。受傷1ヶ月経過の頃、膝は全く日常生活に支障はなくなってはいたがいつ又膝くずれが起こるかもしれないという恐怖感は常にあった。
2002.3.2
関節鏡手術
2002.3.5
退院 (入院4日間)手術終了後ビデオを見ながら説明を受ける。ACLは完全にモップのようにぼろぼろに切れていた。半月板は衝撃により活膜襞が裂けてささくれていたのでトリートメントした事、軟骨は無事だった事を聞く。大分に緩んでいてこれでは日常生活上不便だろうと1ヶ月後に再腱術が決定。痛さもなく膝も良く曲がり経過が良く予定より早く退院できる。1ヶ月後の手術に備えて筋力をつけておくようにと言われる。手術までの1ヶ月は装具のカタドリ、1週間ごとの診察 一日おきのリハビリに通いながら家でもウオーキング、エアロバイク、枕つぶし、モモ上げなどほぼ毎日。
2002.3.30
再腱術
2002.4.10
退院(入院12日間)手術は半身麻酔で点滴の中に睡眠薬を入れて眠っている間に終わってしまうし痛み止めも有るから手術は心配ないとの事。膝蓋靭帯の真ん中から8.5〜9mmの筋を骨付きで取ってきてそれを膝の裏側から通して両方をボタンで留めるやり方、10日後に抜糸 膝の屈伸状態を見て12日位で退院との事等膝の模型を使って丁寧に説明を受ける。術後の経過や山やスキーへの復帰の可能性を含めて納得の行くていねい且つしっかりした十分な説明があり不安な点はとことん聞いたので、信頼し安心して手術が受けられた。術後の経過も自分で思っていたより非常に良くて腫れもほとんどなく曲がりも3日目で120度、松葉杖も1週間で取れ10日目に抜糸、経過はすこぶる順調で予定通り12日間で退院。
手術後
2週:すごく痛い日もあれば今日は少し良いとか一進一退
3週:お風呂の中で正座が出来た。
4週:朝起きて膝を曲げる時違和感があるが起きてしまうといい感じで痛みも少ない日が増えてきた
5週:装具のストッパーをはずして可動域を広げる。角度が広がった事による運動量が増えた為か先週より膝の中が痛い 曲げ伸ばしが痛む
6週:痛い日 いい日が交互にある。
7週:無意識に正座した事に突然気がついて思わず足を伸ばすほどいい日があり嬉しかった。でもその後又出来ない日もある。
8週:装具が取れる。早歩き ジョギングOK 格段と良くなった実感。「今の状態のすべてをクリアしている。他は何でもやってあげるけど筋トレだけは僕はお手伝いできない、頑張りなさい」と医師の話
9〜10週:装具が取れてからトレーニングを強化したので膝がいつも熱くリハではアイシングとマイクロ波照射に又戻ってしまったが,特別に悪いところはないのでトレーニングは様子を見ながら負荷の多いものは避けて続ける。
11〜14週:装具が取れて1ヶ月、13週目で初めて登りが30分程度の軽い登山に挑戦、14週目は1時間の登りに挑戦,下りはもちろん装具を着けたけど自信がつく。
15週:10000歩位のハイキングに出かける。平地だと歩いていても手術した事を忘れる事があるくらい違和感もなく快適に歩ける。日によってはまだ痛む日もあるが確実に快方に向かっていると信じている。
16週:まだやっと3ヶ月と20日間たったばかり。晴れて半年たった今年の10月ごろには再デビューの山はどこにしようか毎日リハビリをやりながら夢を膨らませている。まだまだ途中だがこれからは経過する時間がクスリ。恐らくリハビリは私の一生の日課になると思うし体力維持が出来る事はみんなACLのお陰だと今ではいい方に解釈している。
トレーニングは病院のリハ室へは14週目からは週に1度アドバイスを受けたりマッサージをしてもらうくらいであとは家の近くにある市の健康増進館の中のジムとプールにほぼ毎日通っている。ジムの機械は医療用ではないので医師とPTに内容をきちんと話し指導を受け,ジムのインストラクターにメニューを作ってもらって指導を受けている。家でエアロバイク20分とバランスボード15分のウォーミングアップをやってから出かける。アドバンス(楕円運動)ハイパワーイカルス(足を前に出してのバイク) ウォーキングマシンなどの有酸素運動の後筋トレ レッグエクステンションは膝に負荷がかかるため今まで許可が出なかったがようやく40〜45度の角度を必ず守るということで15週目よりやり始める、90度になるのは術後5ヶ月まで待てということ。その代わりレッグカールは頑張ってやっている。その後又プールで1時間ぐらいプールのプログラム通りに。水中歩行や水中エアロビのレッスンに出る。明るくたのしく積極的にリハビリに励んでいる毎日。(ここの一番いい事は温泉付き。これも効いているかな?)ACLは私にとって不幸な出来事ではあったけれど、今快方に向かう日々の中で考えて見るととてもいい経験だったと思える気持ちにまでなりました。医師の技術による術後の経過の差は大きいと良く聞きますがスポーツ外来でスポーツ障害に対して診断、治療 リハビリのトータルケアで年間120例以上のACL手術を手がける病院(静岡で一番多いということです)で信頼の置ける医師にめぐり合った事が最大のラッキーな事でした。半月板の損傷の有無とか筋力の差、年齢、スポーツ復帰への執着度によっても術後の経過は違うと思いますが歳をとってからの手術は治りも悪くなる可能性も高くなるし、リハビリする気力や体力も衰えるだろうし膝を安定させるための筋肉は、衰えるのは早いけど、復活させるのには何倍も時間を要します。一番不安に感じ一番悩んだ事でした。それらすべて承知で手術に踏み切りました。でもいつも医師は励ましてくれました。私が弱音を吐くと叱ってくれました。私の場合たまたま運が良くて順調に回復できている事に感謝しています。60歳になる私が克服しようとしているのです。若い人たちにも頑張ってほしいのです。神は乗り越えられない試練は与えないと思いました。ネットで励ましてくれたお友達、医師 PT 看護婦さんたち たくさんの人たちのやさしさと真心に触れて感動をいっぱいもらいうれしい涙も一杯流しました。ACLを失った以上のものを再建とともに得た気持がします。
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